浮気コラム
知ってるつもりの男心と女心 〜男と女は、違う生き物〜
男は束縛を嫌い、女は束縛を善しとする
少し極端かもしれませんが、世俗的にはうなずいてもらえるのではないでしょうか。
男性が忌み嫌うものを、女性は無くてはならないものとして捉えている。そのまた逆もしかりとして、束縛の善し悪しに限らず、性別がもたらす感覚のズレというものは日々の生活に溢れています。ときにその相違は、決して交わることのない2本の平行線として存在し、男女は互いに譲れない信念を持ち備えているものです。
要するに、男と女は違う生き物である。
それくらい潔く割り切った価値基準を持っておいた方が、恋愛だけでなく仕事や家庭においても、
つまらぬ諍いを避けられるような気がします。なぜなら相手を違う生き物として客観的に見ることによって、
観察眼が養われ、異性を見抜く目というものが育ちます。
するとたとえば恋愛においては、
つまらぬ異性との関わりを事前に避けることができます。恋愛のそのまた先にある家庭においても、
相手の言動パターンや感情の波を事前に予測してトラブルを回避することができます。
同様に仕事上でも相手の人格を見抜くことができれば、言葉の言い回しひとつを工夫することによって、
感情を逆なでせずに済むはずです。
いずれにしても、異性を見抜く目を持つことで、
たとえ衝突が起きてもより高い次元で事態を把握できるので問題の核が見えやすくなり、
感情論で足かせを食らうことなく大事な結論に早く到達することが出来ると思うのです。
それは社会の中でたくましく生き抜く知恵にもなりますし、合わせ鏡のようにして自分の人格をも見つめ直すきっかくになりますから、
結果的には自己成長にも繋がっていくのではないでしょうか。
異性との間で、話し合いにもならない話し合いを経験したことありませんか?
そのとき感じた苛立ちやじれったさを思い出してみてください。
割り切った価値基準を持つということは、決して諦めや絶望といったネガティブな考えではなく、
むしろ相手とのより良い関係を保つための秘策だと、私は思います。
そういえば最近、こんなことがありました。
私の知り合いの既婚男性の中に、毎週のようにコンパに繰り出しているという人がいるのですが、
その理由と問うと「自分を解放させることができるから」とのことでした。
家庭ではそれが果たせないのか疑問に思ったのも束の間、「妻の前ではバカできないからさ」と彼は続けました。
かといって彼は家庭を疎かにしているわけではなく、妻に不満があるわけでもない。むしろ夫婦仲は良好のようにさえ見受けられます。
彼の価値観として、妻の前で稚拙な態度をとらないことが妻への礼儀のように思っているのかもしれません。
亭主たるもの家庭の中では弱音を見せてはならない、といった厳粛な価値観は、
一見古臭いイメージもありますが男性の心理の根底にはまだしっかりと染み付いているのではないでしょうか?
加えるならば、惚れた女の前で恥ずかしいことはできない、という美的感覚もあるのかもしれませんね。
ともあれ、心底にどのような価値観が流れていようとも、
女性にとってはコンパに繰り出すというその行為そのものが理解に苦しい事態なのです。
妻や家庭に何かしらの不満があって、外の異性に時間もお金も費やすのならまだしも、
さしたる不満もないのに意識が外に向くというのは、どういうことなのでしょうか?
仕事という社会的束縛に心身を奪われている毎日だからこそ、仕事が終わればあらゆることから解放されたくなるのでしょう。
精神構造としては理解できなくもありません。なぜなら、ストレス社会で生きているのは女性も同じことであり、
女性にとっても自己解放は、生きていくために必要不可欠なものだからです。
彼女らの多くはショッピングやエステ、旅行、グルメなどで自己回復を行ないながら社会での居場所を保持しており、
そうやってオンオフのバランスを保つことが心身を豊かにするための術になります。
自己解放、その目的は同じであれ、根底にある欲求にこそ男女の違いがあるのでしょう。
女性の場合は、時間とお金を自分に投資し、物欲や食欲で満たされます。一方の男性は、まずは性的欲求、
その次に自己顕示欲が満たされることが活力に繋がっているように思います。
たとえば、男という生き物は、結婚していようが恋人がいようが、何かと理由をつけては女性の匂いのする場所へ夜な夜な足を運ぶものです。
夜の盛り場を見てみてください。花に群がるミツバチがうごめいていいます。
接待を理由にクラブ通い、飲んだ勢いでつい風俗へ。全ての男性がそうとは言えませんが、
おそらく多くの男性がそうなのではないかと思います。そして彼らは少なからず下心というものを隠し持っています。
風俗店ではその性的欲求が満たされますが、高級クラブではそうはいきません。けれど、男性は足しげく通います。
なぜなら両脇に女性をはべらせ、褒められ慰められることで自己顕示欲が満たされていくからです。
そんな男性をみて、風俗やクラブにお金をつぎ込むなんて馬鹿げているわ、と女性は眉間に皺を寄せるのです。
しかしその一方で、女性の買い物癖に対して、体ひとつに一体何着服が必要なんだ、と男性は愚痴こぼすのです。
どっちもどっちかもしれませんね。
そう、究極的には、男も女どっちもどっちだと思うのです。
だって、男と女は違う生き物なのですから、どちらが良くてどちらが悪いかなんて一概には決められません。
男女平等が当たり前とされている時代とはいえ、それはあくまでもトップダウンで叫ばれている”お決まり事”に過ぎず、
男女のもつ価値観が急速に変化するわけではありませんし、むしろ個人レベルでは超低速な変化しか起こっていないような気がします。
表面的には女性の社会進出を賞賛していても、本音では自分の妻には家の中にいてほしいと思っている男性も少なくないはずですし、
すべての女性が男性と肩を並べてビジネス社会に身を投じたいとも思っていません。
男女を同じ価値基準で判断するのは、あまり意味がないような気がします。同じ物差しを当てるのではなく、
それぞれ別個の物差しでもって、その人格や特性を見極めるように努めることが男女共存の掟なのではないでしょうか。